3.11から5年。今、びゅうばすで南三陸を訪れたら。 の続編です。
14:30 気仙沼の語り部さんが同乗
気仙沼市の語り部さんには、リアス・アーク美術館でいくつか質問することができました。(私の質問だけでなく、他の方の質問も合わせて載せています。)
Q1)津波で失われた仕事と収入。みなさん、震災前の職場には戻れていますか?
A1)求人はあるそうです。特に不足しているのは水産加工業者で成り手がいない。
Q2)今も被災地で寝泊まりしているボランティアの人っていますか?
A2)今は仮設住宅をまわってもらったり、イベントの時に手伝ってもらうなどスポット的なことをお願いしています。
Q3)重油タンクはやはり沿岸部に設置するんですか?
A3)重油タンクの油が漏れ、それに火がついて文字通り「火の海」と化した光景をテレビで見て覚えている方も多くいるかと思います……。オイルは大切な燃料なので今後も運ばれてきます。しかし、今回は重油タンクが浮き上がらないよう、より強固に固定、また破損によりオイルが流出しないよう緊急遮断弁を設置、加えて、防油堤の改修する、といった対策がとられることになりました。
他にも災害時に関する質問がありました。
Q4)同じ高台にある体育館などの避難所とホテルなら、どちらに避難した方がいいでしょうか?
A4)安全面でいったら、体育館などの避難所の方が上かもしれません。しかし、ホテルには布団もタオルも浴衣もあります。それに売店には多少の食べものも。子どもや高齢者と一緒の方にはこちらの方が体力の消耗をおさえることができるかもしれません。
Q5)震災後に1番不足したのは何ですか?
A5)ガソリン、灯油、電気。電気が通ったのは、震災から1ヶ月も過ぎた4月20日でした。手動の発電機などがあると、いざという時に役立つと思います。
Q6)家族や知人の安否はどうやって確認しましたか?
A6)確認したくても「個人情報保護法」に引っかかって確認できませんでした。ですので、家族で「もしもの時」の集合場所や連絡先を決めておくと安心です。
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それから、バスは気仙沼紫市場へ。ここで30分ほど買い物タイム。語り部さんとはここで別れしてバスはその後、一ノ関駅へ。到着後、解散でした。
「何か今でもできることはあるのか」を聞きに行ったはずでした。そして、何か微力でも支えになれればと参加したツアーでした。ですが、私がツアーに参加して得たものは、その手がかりでも答えでもありませんでした。私が得たものは・・・
犠牲者を出さないようにするにはどうしたらいいか
災害に遭ったらどう行動すべきか
商店街では一生懸命働いている人の元気と笑顔
恐らく思い出したくないだろう体験を未来のために話し続けている強い心
……何か自分ができるだろうと思っていたおこがましさに本当に情けなくなりました。
災害は遭いたくて遭っているのではなく、突然誰に降りかかるかわかりません。そして被災することも同じです。自分が被災した時どうして欲しいのか、そしてそれはどうしたら行動で表せるのか…今回のツアー参加はそれを考えるいいきっかけとなりました。
同じ国で起きたこと。同じ時代に起きたこと。